奥 武則さん(17回生)

「論壇の戦後史」


  朝日新聞(2007年5月27日掲載)

 戦後まもなく、清水幾太郎が所長を
 していたのが「二十世紀研究所」、
 総合雑誌をリードしたのは「世界」。
 敗戦後の日本の進路を巡る大きな
 問題が身近だった時代に、そんな
 名称が似合った。
 高度成長が終わる70年代初頭まで
 の論壇を活字メディアの盛衰に乗せ
 ながら振り返る。
  

 奥武則君は、私が1963年に母校へ戻って来た時の二年生、<新宿>で私が最初に教えた生徒
である。1965年の卒業だから、17回生だ。
 早大政経学部を卒業後、毎日新聞社に入社した彼は、学芸部長、論説副委員長などを経て、03年
に退社、現在は法政大社会学部の教授を勤めている。
 04年3月、君は都立高校の凋落現象に焦点をあてて、「むかし<都立高校>があった」(平凡
社)を刊行した。これは、40年前に(1967)に導入された「「学校群制度」(81年度まで)によって変質
した都立高校の実体を解明し、かつては存在した伝統校のユニークな学校文化のあり方を指摘しな
がら、「<都立高校>は蘇りはしない」と結んだ好著であった。この本は、「朝陽53号」でも紹介した。

               
                                                                                                                                                                    

         
 奥
君には多くの著作があるが、今年(07年)5月に出版された「論壇の戦後史」(平凡社新書)もな
かなかすぐれた著述だ。
 「ロンダンってナアニ?」という声が若い人たちからは聞こえてきそうだ。なるほど、多くの人たちは、
ジャイアンツが日本一になれるかどうか、松坂が大リーグでどんな活躍を見せるか、といったことには
関心を寄せるが、日本の現在や未来について考え、論じた文章には目を向けようとしない。また、「論
壇」というものも存在しているかどうか、きわめて不明確だ。
 しかし、かつて「論壇」はあった。それは、著者のことばを借りれば、「国内外の政治や経済の動きな
ど、さまざまな領域の、広い意味での時事的なテーマについて、専門家が自己の見解を表明する場」
である。そういう場が、敗戦後から四半世紀程はたしかに存在していたのだ。そこで展開される論に
耳を傾けたり、あるいは批判しつつ、人々は行動(イデオロギー的なものをも含めて)の糧にしたもの
だった。
 そうした「論壇」の栄枯盛衰を著者は丹念にたどり、しかも明晰に追跡する。読者の中には、「あっそ
うだ!こんな時代もたしかにあった!!」とうなづく方も多いのではないか。さらに、年配の方々の中
には、
すでに故人となられた知識人の名前に触れて、懐旧の情を禁じえない思いにとらわれる方もおられる
だろう。

 一読をぜひともおすすめする。

 なお、君は、引きつづき8月にも「露探」(中央公論新社)を上梓された。サブタイトルとして「日露
戦争期のメディアと国民意識」とあるが、これも「[露探](ロシアのスパイ)と疑われたら最後、たとえ確
実な証拠がなくても、非国民、売国奴として弾劾され」た時代にスポットをあてた力作、である。

                                   朝陽同窓会顧問 佐藤喜一(1回・旧師)