母校沿革
東京都立第六中学校(旧称 東京府立第六中学校)
大正10年 | |
10月4日 | 東京府立第六中学校の開設を告げる府告示第338号公布。 |
大正11年 | |
1月28日 | 阿部宗孝初代校長に補せられる。 |
4月8日 | 第1回入学式を行い,翌年3月迄,府立第四中学校内仮校舎で 授業する。 |
6月15日 | 交友会発足。 |
11月23日 | 六中父兄会発足。 |
大正12年 | |
4月8日 | 新校舎落成。落成祝賀会。 |
4月16日 | 財団法人朝陽会発足。 |
5月23日 | 千葉県館山市西岬区塩見に敷地を求め,遊泳練習寄宿舎を建築し,塩見朝陽舎と命名する。 |
9月1日 | 関東大震災により,塩見朝陽舎倒壊。 |
大正13年 | |
7月1日 | 塩見朝陽舎再興。 |
昭和2年 | |
3月6日 | 第1回卒業証書授与式を挙行する。 |
昭和4年 | |
6月1日 | 群馬県利根郡水上町小日向に敷地を求め,寄宿舎を建築し, 水上朝陽舎と命名する。 |
昭和8年 | |
4月1日 | 私立六中夜間中学を東京府立六中夜間中学と改称し,阿部校長の 兼任を命ぜられる。 |
6月24日 | 校内水泳場竣工する。 |
昭和10年 | |
4月1日 | 府下千歳烏山(現在世田谷区北烏山)に運動場及び園芸場を 開設する。 |
昭和11年 | |
3月26日 | 阿部校長府立高等学校長に補せられ,同日東京府視学官二階源一 本校校長に補せられる。 |
昭和12年 | |
10月2日 | 叩心寮落成する。烏山の運動場園芸場及び叩心寮を朝陽学園と称する。 |
昭和14年 | |
運動場を世田谷八幡山に購入する。 | |
昭和18年 | |
7月1日 | 東京都立第六中学校と改称する。 |
昭和21年 | |
11月20日 | 二階校長逝去され本校教諭斉藤清事務取扱を命ぜられる。 |
昭和22年 | |
4月1日 | 新学制の実施に伴い,本校2・3年生は都立第六高等学校併設 中学校生徒となる。 |
9月6日 | 本校教諭木村武雄校長事務取扱を命ぜられる。 |
東京都立新宿高等学校
昭和23年 | |
4月1日 | 新学制より,本校は東京都立第六新制高等学校となる。 |
4月8日 | 新制高等学校開校式挙行。 |
4月20日 | 都立第十一(江北)新制高等学校長松村象一郎本校校長に補せられる。 |
11月21日 | 父兄会改組され,父母と教師の会発足。 |
12月1日 | 自作農創設維持法により烏山園芸場の一部を地主に変換する。 |
昭和24年 | |
3月1日 | 旧新宿御苑の一部を運動場として,使用許可される。 |
昭和25年 | |
1月26日 | 東京都立新宿高等学校と改称。 |
4月4日 | 男女共学制度実施とともに女子生徒102名入学。 |
昭和27年 | |
4月22日 | 東京都指導部主査落合嬌一本校校長に補せられる。 |
10月8日 | 創立三十周年記念式挙行。校歌制定。図書館・運動場等整備。 |
昭和30年 | |
6月21日 | 八幡山園芸場を売却する。 |
昭和32年 | |
4月1日 | 自治会・校友会を改組し,生徒会発足。 |
昭和33年 | |
4月1日 | 落合嬌一校長小石川高校長に補せられ,小石川高校長沢登哲一 本校校長に補せられる。 |
昭和38年 | |
4月1日 | 沢登哲一校長退職により都立青山高校長成田喜英本校校長に 補せられる。 |
昭和42年 | |
3月23日 | 塩見朝陽舎改築,落成。新たに都立新宿高校館山寮と命名。 |
4月1日 | 成田喜英校長退職により都立農芸高校長織田富勝本校校長に 補せられる。 |
9月7日 | 新校舎建築着工。 |
昭和44年 | |
9月1日 | 新校舎へ移転。 |
昭和46年 | |
3月31日 | 三階2教室増築。 |
3月31日 | 朝陽学園閉鎖。 |
8月9日 | 五十周年記念会館竣工。寄付受領。 |
昭和47年 | |
2月7日 | 生徒部室竣工。 |
4月1日 | 織田富勝校長小石川高校長に補せられ,都立小松川高校長田山 一郎本校校長に補せられる。 |
6月30日 | 「旧校舎に別れを告げる会」開催。8月8日鐘塔の部品回収。 |
昭和48年 | |
3月11日 | 創立五十周年記念誌発行。 |
昭和51年 | |
4月1日 | 田山一郎校長退職により東京都教育長体育部長榎村順雄本校校長 に補せられる。 |
昭和55年 | |
4月1日 | 第1学年臨時学級増(1学級47人)。以後3年ごと。 |
6月23日 | 4階2教室増築。 |
昭和56年 | |
4月1日 | 榎村順雄校長退職により都立足立東高校長宮崎四郎本校校長に 補せられる。 |
昭和57年 | |
2月25日 | 新選抜制度による入学試験実施(学校群からグループ選抜へ)。 |
10月16日 | 創立60周年記念祝賀会(於京王プラザホテル)。 |
昭和58年 | |
3月上旬 | 「創立60周年記念誌」学校より発刊。 |
4月1日 | 第1学年臨時学級増(2回目)(1学級47人)。 |
昭和59年 | |
4月1日 | 宮崎四郎校長退職により東京都教育長指導部長酒井俊郎本校校長 に補せられる。 |
昭和62年 | |
4月1日 | 酒井俊郎校長退職により都立小平南校長西村文男本校校長に補せ られる。 |
昭和63年 | |
10月13日 | 「朝陽時報」第200号発行。 |
平成2年 | |
4月1日 | 西村文男校長退職により、都立代々木高校長大道寺秋雄、本校校長に補せられる。 |
平成3年 | |
4月1日 | 臨時学級増終了し、1学年8学級計24学級、1学級定員44名となる。 |
平成4年 | |
4月1日 | 第一学年学級減で7学級(学級定員43名となる)。 |
10月4日 | 創立70周年記念式典を兼ねて、同窓会総会を新宿モノリス29階にて開催。 |
平成5年 | |
3月5日 | 創立七十周年記念誌発行。 |
4月1日 | 大道寺秋雄校長退職により、都立東大和高校長奥山英男、本校校長に補せられる。 |
11月20日 | 第一回東京旧制中学・校歌祭が日比谷公会堂で開催。 |
平成6年 | |
4月1日 | 7学級完成(1学年1学級40名)。 |
平成8年 | |
4月1日 | 奥山英男校長退職により、都立五日市高校長住岡明朗、本校校長に補せられる。 1学年1学級減で6学級となる。 |
平成10年 | |
4月1日 | 住岡明朗校長退職により、都立文京高校長水谷弘、本校校長に補せられる。 6学級完成。 |
平成13年 | |
4月1日 | 水谷弘校長退職により、東京都教育庁人事部管理主事小栗洋、本校校長に補せられる。 |
平成14年 | |
12月4日 | 新校舎建築工事着工。 |
平成15年 | |
3月 | 80周年記念「会員名簿」の発行。 |
4月1日 | 第1学年2学級増(1学級40名)で8学級となる。「進学重視型単位制高校」こ改編。 |
5月24日 | 創立八十周年記念式典挙行。創立八十周年記念誌発行。 |
平成16年 | |
6月 | 館山寮(塩見寮)の大改修。 |
12月24日 | 新校舎へ移転。学校所在地変更。 |
平成17年 | |
2月10日 | 新校舎建築工事第1期完了。校舎棟・部室棟・テニスコート完成。 |
3月16日 | 新校舎落成記念式典挙行。 |
4月1日 | 小栗洋校長都立町田高校長に補せられ、都立文京高校長高木克、本校校長に補せられる。 8学級完成。 |
平成18年 | |
1月31日 | 新グラウンド完成。 |
平成19年 | |
4月1日 | 高木克校長千代田区九段中等教育学校長に補せられ、都立大島海洋国際高校長 篠田直樹、本校校長に補せられる。 |
6月 | 東京都教育委員会から「進学指導特別推進校」に指定。 |
平成22年 | |
3月6日 | 定時制課程が閉校、閉課程式が本校にて開催。 |
平成23年 | |
4月1日 | 篠田直樹校長退職により、東部学校経営支援センター担当課長戸田弘美、本校校長に補せられる。 |
平成24年 | |
9月29日 | 創立九十周年記念式典挙行。創立九十周年記念誌発行。 |
<参考>東京都立新宿高等学校定時制課程沿革史(平成22年3月31日閉課程)
大正13年 | |
4月8日 | 私立東京六中夜学校開設、尋常小学校5年制。 |
昭和8年 | |
3月28日 | 同校廃校。 |
4月1日 | 東京府立六中学校開校。 |
昭和16年 | |
4月1日 | 東京府立興国中学と改称。 |
昭和17年 | |
4月1日 | 国民学校初等科卒4年制となる。 |
昭和18年 | |
4月1日 | 都立第六中学校第二部(国民学校高等科3年制)を併設。 |
昭和21年 | |
3月18日 | 都立興国中学校廃校。 |
4月1日 | 高等科卒4年制となる |
昭和23年 | |
4月1日 | 新学期により、都立第六新制高等学校夜間課程(第二部、新制中学校卒4年制)となる。 旧制中学2年終了1年制の予科を併設。 |
5月1日 | 本校教諭勝村 満、定時制主事に命ぜられる。(学校長の異動については全日制の項を参照) |
昭和24年 | |
3月1日 | 予科を廃止。 |
昭和25年 | |
1月26日 | 東京都立新宿高等学校と改称。 |
4月1日 | 男女共学を実施。 |
昭和28年 | |
4月1日 | (20学級となる) |
昭和32年 | |
10月1日 | 藤村 満主事、都立代々木高等学校長に補せられる。 |
昭和33年 | |
8月1日 | 本校教諭木谷 正夫、定時制主事に命ぜられる。 |
昭和40年 | |
10月31日 | 創立40周年記念式典を行なう。 |
昭和42年 | |
4月1日 | 「都外出身生徒の実態」調査の研究協力校に指定される(2年連続)。 |
昭和44年 | |
12月23日 | 新校舎への移転完了。 |
昭和47年 | |
4月1日 | (19学級となる) |
東京公立学校教育方法改善推進校に指定される(2年連続) | |
昭和48年 | |
4月1日 | 木谷 正夫定時制主事、都立九段高等学校定時制主事に補され、都立日比谷高等学校定時制主事村岡 裕、本校定時制主事に転補せられる。 (18学級となる) |
昭和49年 | |
4月1日 | (17学級となる) |
9月1日 | 村岡 裕定時制主事、教頭(定時制担当)に補せられる。 |
昭和50年 | |
4月1日 | (16学級となる) |
昭和52年 | |
4月1日 | 村岡 裕教頭退職により、都立南高等学校教諭雨海 正治、本校教頭に補せられる。 |
昭和53年 | |
4月1日 | (13学級となる) |
昭和54年 | |
4月1日 | (10学級となる) |
昭和55年 | |
4月1日 | (9学級となる) |
昭和57年 | |
4月1日 | 雨海 正治教頭、都立豊多摩高等学校教頭(全日制担当)に転補せられ、都立向丘高等学校教頭(定時制担当)川崎 盛美、本校教頭に補せられる。 (8学級となる) |
昭和58年 | |
4月1日 | 川崎 盛美教頭退職により、都立第三商業高等学校教頭(定時制担当)小林 高寿、本校教頭に補せられる。 |
昭和60年 | |
4月1日 | 小林 高寿教頭退職により、都立八王子北高等学校教諭守家 甫、本校教頭に補せられる。 |
昭和63年 | |
4月1日 | 守家 甫教頭、都立調布南高等学校教頭(全日制担当)に転補せられ、都立国分寺高等学校教諭増田克彦、本校教頭に補せられる。 |
平成3年 | |
4月1日 | 増田 克彦教頭、都立府中高等学校教頭(全日制担当)に転補せられ、都立日野台高等学校教諭川島正雄、本校教頭に補せられる。 |
平成6年 | |
4月1日 | 川島正雄教頭、都立一橋高等学校校長に補せられ、都立府中東高等学校教諭大須賀 忠昭、本校教頭に補せられる。 |
平成9年 | |
4月1日 | 大須賀 忠昭教頭、本校教頭(全日制担当)に転補せられ、都立八王子東高等学校教諭澤海富保、本校教頭に補せられる |
平成13年 | |
4月1日 | 澤海 富保教頭、都立新宿山吹高等学校副校長に補せられ、都立日野高等学校教諭清水 政義、本校教頭に補せられる。 |
平成16年 | |
4月1日 | 清水 政義教頭、副校長(定時制担当)に補せられる。 |
平成17年 | |
4月1日 | 清水 政義副校長、都立多摩工業高等学校副校長(全日制担当)に補せられ、都立野津田高等学校副校長真保 俊哉、本校副校長に補せられる。 |
平成22年 | |
3月6日 | 閉課程式典実施(篠田直樹校長)。卒業生総数:旧制1.231名 新制6,283名 |