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母校『進路部通信―新宿進化』第6号に29回 大貝隆之さんが寄稿

母校キャリア教育強化の一環として、進路指導部がこの4月から創刊した『進路部通信―新宿進化』の第6号に29回 大貝隆之さん(国際協力機構(JICA)国際協力専門員)が「国際協力という仕事に就いて」と題して寄稿されています。
国際協力という仕事に将来は就きたいと思っている生徒が新宿高校には多いそうです。
大貝さんの国際協力の豊富な体験談は、そんな夢を持つ現役生の皆さんに大いに参考になり、また刺激になるに違いありません。以下は大貝さんの寄稿内容です。

国際協力という仕事に就いて

新宿高校29回生 大貝隆之
国際協力機構(JICA)国際協力専門員

 新宿高校時代は日々部活(ラグビー部)に明け暮れ、自分の将来に関しては漫然としたイメージ(国際的な仕事がしたい)しか持っていなかった私ですが、還暦を目前にして、気が付けば社会に出て33年、そのほぼ大半、国際協力の仕事に就いていたことになります。 仕事は国際協力でしたが、勤務先は4つの組織。大学卒業後最初に就職した海外経済協力基金(OECF)(有償資金協力担当)で17年、次にOECFと日本輸出入銀行が統合してできた国際協力銀行(JBIC)で9年、更にJBICの円借款業務部門と国際協力事業団(JICA)(技術協力担当)と統合した国際協力機構(JICA)(ODA実施機関)で4年へ、そしてその後日本の政府開発援助(ODA)政策を担う外務省での勤務(大臣官房ODA評価室長として2年間)も経験しました。現在は国際協力専門員(シニア・アドバイザー:評価・プロジェクトマネジメント担当)として、再びJICAに勤務しています。

海外駐在(3か国)で現場を経験

 この間、アジア、アフリカ、中南米等と開発途上国への出張も数多くありましたが、3度の海外駐在(インドネシア、タイ、マレーシアの3か国に各約3年;合計約9年間)の機会は、かけがえのない現場経験でした。当時は各国とも貧困問題等の開発課題に直面しており、各国の指導者達(インドネシアのスハルト大統領、マレーシアのマハティール首相等)は、自国の開発課題に対する日本からの協力に大きな期待を寄せていました。そのため、各国の行政官(テクノクラート達)との協議・議論は、彼らの「国を良くしたい、国民の生活を向上させたい」という思いが募り、時に熱を帯びたものになりました。各国とも「今は貧しくとも将来は」という前向きな意気込みがあり、私達も「頑張っている人達が報われる世の中にしたい」という思いの下、現場での支援を実践していました。

忘れられぬ人々

 これまでの国際協力人生の中で、多くの方々との出会いがありましたが、忘れられない方は、バングラデシュのムハマド・ユヌス教授です。ユヌス教授は、グラミン銀行での貧困農民向けマイクロクレジットの功績を認められ、2006年ノーベル平和賞を受賞されましたが、初めての出会いは、その約10年程前、私がOECF広報課長の折に、国際協力の日(10月6日)のシンポジウムの基調講演者としてお願いし、快諾して頂いた時でした。ユヌス教授とはそれ以来のお付き合いとなりますが、2008年に久々の再会を果たした際には、私がJICAの民間連携室長としてODAの民間連携の在り方を模索していた時期であり、会議冒頭のユヌス教授の「JICAは今後、途上国とソーシャルビジネスを実践しようとする民間企業をサポートする役割を果たすべきではないか」という言葉は正に自分の考えていたことを後押しして頂く形となり、今も忘れることができません。 また、JICA時代に理事長であられた緒方貞子さんからも多くのことを学ばせて頂きました。緒方前理事長は、国連難民高等弁務官を長らく務められ、世界で最も著名な日本人と言われた方でした。私も何度となく説明に入りましたが、常に大きな視野に基づく的確なご指摘を頂き、感服したものです。

母校の諸君へ(大切なこと)

 この様に、言わば国際協力人生を過ごしてきた私ですが、母校の諸君に何かお伝えするとすれば、人生においてはいろいろな場面に遭遇しますが、大切なことはシンプルですが、「自分で考え、自分で行動する」ということかと思います。高校時代の3年間は、あっという間に過ぎ去ってしまいます。そしてその後の人生は更にスピードを増して過ぎて行きます。社会に出ると、様々な周辺状況や外的要因等に影響を受け悩むことも多くなりますが、なるべく悔いを残さない人生を歩んでゆくためには、最後は自分が自分で判断し行動する、ということが一番大切なことではないかと思います。それは高校時代でも同様かと思います。勉強にしろ、部活にしろ、遊びにしろ、そういった思考や行動様式を身に着けておくと良いかもしれません。どうぞ素晴らしい高校時代を過ごされますよう、皆さんの健闘をお祈りいたします。

以上