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「進路部通信」第42号(平成31年1月号)に太田公子さん(19回 フリーアナウンサー 元川崎市議会議員)が寄稿

 太田さんは、家庭の経済状況もあって浪人中の6月に就職するも、将来について佐藤喜一先生相談して勧められた「アナウンサー」の道を目指しました。

 そして、昼は会社勤め、夜は共立短大夜間に、日曜は東京アナウンスアカデミーに通いながら、アナウンス技術を磨ぐ日を過ごされました。

 大学卒業後は女子アナを目ざして就職活動。いくつかの挫折の後、福島中央に女子アナとして採用され「一人三役」をモットーに猛然と働いた後、新しく開局したテレビ神奈川(TVK)に移られました。そこで横浜港を舞台に活躍されたのち、昭和51年からはフリーアナウンサーに転じ、テレ朝、TBS、フジTVの番組に出演されました。

  昭和57年に誕生した2人目の娘さんが障害を持っていたため、障害児教育と取り組むため川崎市議会議員に立候補されました。4回目の挑戦で当選された後は、福祉をテーマに活動されました。

 現在はお住まいの川崎市宮前区の社会福祉協議会などで福祉、まちづくりをテーマに活動を続けられています。

 いま振り返ると、アナウンサーになれたのは、中学時代の部活、剣道部のお陰でよく通る声を得たこと、中学・高校で生徒会選挙、学園祭でのジャズコンサートの司会などの経験が生かされ今でも基礎になっているそうです。

 太田さんの寄稿はこちらをクリックしてご覧ください。