関西朝陽会
関西支部略史
1.成り立ち
昭和29年(1954年)の12月に幹事役である守屋賢二氏(9回)が開催した忘年会が始まりである。出席人数は10人であり、この忘年会を第一回会合(総会)と位置づけたようである。席上「お互いに商売、職業を離れた肩の凝らない気軽な会合はこいつに限る」と決まったようで、毎年開催する事となった。
また、「在校生が修学旅行で関西にみえる時も是非前もってご一報いただきたいと思う」との記述もあり、文字通り世話人として積極的な姿勢をもたれていたことが伺える。
2. 沿革
以降、各年毎に総会の様子を記載する事で沿革とする。
・昭和31年(1956年) 11月開催、
出席人数34人、幹事役は毛利市郎氏(9回)、別所先生が参加、当日はキャバレーにも行き、翌日はシネラマに行ったとの記述がある。また、この頃から支部の名簿づくりに着手した模様。
・昭和32年(1957年) 4月開催、
出席人数61人(確認できる限りでの過去最多出席人数)、会場は大阪市内の堀舟町大新楼、別所先生と中原先生が出席された。阿部支部長(2回)他2名の計3名で会を運営。
・昭42年(1967年) 6月開催、
出席人数34人、会場は大阪市内の堀舟町大新楼、会長は岡部寿氏、会としての悩みの種が会員の異動が実に激しいことである旨の記載がある。(この点に関しては現在においても同様である。)
・昭和54年(1979年) 11月開催、
出席人数36人、会場は大阪国際ホテル、本部高山幹事長より母校の近況報告があり、この回以降、会長が岡部氏から福本氏(4回)に変更となる。副会長2名体制。
・昭和五十八年(1983年) 11月開催、
出席人数57人、会場は住友クラブ(肥後橋)、2年ぶりの開催であり、この間に福本会長が転勤で関西を離れ、会長不在の状態であったため、会として会長をおかず、世話人体制で運営する事としたとの記述がある。毛利・松阪両世話人。
・昭和60年(1985年(年度は昭和59年度)) 3月開催、
出席人数35人、会場は住友クラブ、総会の案内は新19回までの195名に対して郵送しており、全員に案内する事は通信費と会費の関係上とてもできないとの記述がある。世話人3人体制(毛利氏(9回)、松阪氏(10回)、田島氏(新8回))
・平成元年(1989年) 10月開催、
出席人数35人、会場は大阪天満橋の東天紅OMM店、坂井先生、本部より高山幹事長の出席あり。以降しばらく2年に1回の開催が続く。
・平成3年(1991年) 10月開催、
出席人数39人、会場は東天紅OMM店、景山氏(旧17回)による報告。
・平成5年(1993年) 11月開催、
出席人数45人、会場は東天紅OMM店、「六中魂」を上映(当時の六中生が東郷元帥邸を訪問し、ご訓示をうける様子もあり)、万歳三唱にて閉会。
・平成7年(1995年) 10月開催、
出席人数46人、会場は東天紅OMM店、ビデオ上映では六中生の朝礼風景や東郷元帥の御肉声も聞く事ができた様子。
・平成9年(1997年) 10十月開催、
出席人数25人、会場は東天紅OMM店、世話人が景山氏より青柳氏(新6回)に変更。
・平成11年(1999年) 10月開催、
出席人数43人。
・平成13年(2001年) 10月開催、
出席人数26人。次年度より中野氏(新14回)が支部長(会長)となる事が決定。
・平成14年(2002年) 10月開催、
出席人数33人。この年以後は毎年開催となる。
・平成15年(2003年) 10月開催、
出席人数38人、会場は淀屋橋の大阪倶楽部。
・平成十七年(2005年) 10月開催、
出席人数30余名、会場は大阪市中央区馬場町のKKRホテル大阪。
・平成18年(2006年) 10月開催、
出席人数20人、会場はKKRホテル大阪。
・平成19年(2007年)~以降10年程 出席者20名前後で推移。
・平成27年(2015年) 10月開催、出席人数23人、会場は阪急ターミナルスクエア十七階スカイバンケット。本部より宮崎副会長が出席。今回より平日夜開催から土曜日の昼開催に変更。
・平成29年(2017年) 11月開催、出席人数16人、会場は新大阪の大阪ガーデンパレス、本部より田中会長が出席、今回より渡辺信久氏(34回)が支部長に就任。今回より土曜日開催から日曜日開催に変更。
3.現状
コロナ禍で会員の安全と健康を優先し、令和2年度(2020年)の総会(同窓会)開催中止を決定した。近年、出席人数が20人弱で推移している。開催するからには、かつてのように40人・50人と増やしたいものである。そのためには若年層(20歳代から40歳代)の参加者数を増やすことが必要と思われるが、メールアドレスやSNSアカウントといった個人情報の取得が難しい現状もある。なんとか工夫していけたらと思う。