第三回 西出 紀久さん

西出さんは、今年度の「朝陽」59号から
編集長の任に就いておられます。

インタビュー:    2010.6.4
インタビュアー:  朝陽同窓会事務局
            HP担当 松田百合子
                 (26回)


今回は、今年度から同窓会会報「朝陽」の編集長職を引き継がれた西出さんに新宿高校時
代の思い出や編集長としての初体験のご印象そしてご家族のことなどを伺って、素顔に迫り
たいと思います。

西出さんは、「朝陽」59号を無事に皆さまにお届けし終えた安堵感からか、編集の佳境期に
お見かけしたどこか緊張した雰囲気と打って変わった穏やかな笑顔で事務局に入ってい
らっしゃいました。初仕事を終えられた後の、しばしの休息のお時間を頂戴してインタビューを
させて頂きました。

西出さんは、編集長を引き受けられたということから、私は独断と偏見で勝手に文学青年肌
というイメージを描いておりましたが、いえいえなかなかのスポーツマンでいらっしゃいました。
新宿高校時代には、昼休みといえば校庭で軟式ボールを相手に野球を、放課後には第二グ
ラウンドでソフトボールをそれこそ毎日のように下校時間ギリギリまで仲間と楽しんでいらした
そうです。就職後も町内会などで軟式野球をずっと続けておられましたが、同居のお母様が
体調を崩された48歳ぐらいで断念されたそうです。が、また最近は時間もできたので、また
地元のソフトボールか軟式野球チームにはいってみようかと考えているそうです。


聞けば15回生同期会(いちご会)幹事会の事務局をされているとのことですし、「朝陽」編集
長をお引き受け頂いたほどですから、母校への思い入れは人一倍のことと想像しつつ、次に
新宿高校に居て良かったことについてお聞きしてみました。すると、それは多様な才能に溢
れた多くの友人達に出会ったこと、そして永い付き合いの中で、その友人たちから多くのこと
を学んだことだそうです。当時は進学校として世間から見られていたこともあって、入学直後
は周り中が秀才に見えて気後れしたこともありましたが、すぐに打ち解けて楽しい高校生活を
おくることができた、その付き合いは50年経った今でも広がり続けていて、これが何にもまさ
る私の財産ですとおっしゃいました。実際、在学時代より同期会が復活した卒業25年以降に
親しくなった友人の方が多いくらいで、特に当時はまぶしくて近寄りがたかった女性陣とも歳
の功か図々しくなったか平気で話が出来るようになったのも幹事の役得とか。「お前も好きだ
なぁ」とか「お前もひまだなぁ」と友人にも家内にも呆れられながらも、続けてきたお陰なんで
しょうねと、笑っていらっしゃいました。そんなわけで、同期の幹事も簡単には抜けられないで
しょうね、と言われていましたが、そういう優しさ、温かさが広い交流を生み出していらっしゃる
のでしょう。

西出さんにはお二人のお嬢さんがいらして、一昨年にアメリカの方とご結婚されシンガポール
在住のご長女は新宿高校の42回生で、朝陽同窓会の事務局長をされている秋山さん(西出
さんと同期の15回生でらっしゃいます!)が母校の数学の教師をされていた頃の教え子との
ことで、不思議な御縁を感じてしまいます。西出さんにとっての初孫である10カ月の千和(ち
より)ち
ゃんというハーフのかわいいお嬢ちゃんとスカイプで相手をするのが楽しくてならない
と言われていました。また昨年、お嬢さんのご出産のお世話で奥様が行かれた時には、介添
役と称して無理やり付いていき50日も居座ってらしたそうで、もうシンガポールは隅から隅まで
知り尽くしたそうです。ご次女もそろそろ身を固めてくれそうな雰囲気が漂って来たので、無
関心を装いながら多大な期待と関心を持って動向を見守っていらっしゃるそうです。


編集長就任については、2〜3年前から文字校正のお手伝いはされていたこと、会社時代に
「社内報」編集を少々齧った経験があったことから、何とかなるだろう・・・・と西出さんは
ちょっと油断がおありだったようです。しかし、今回初めて
企画段階から携わってみて、その
大変さをしみじみと実感されたとのことでした。以前は何気なく読み飛ばしていたような原稿
も、編集する立場で読むと書いた方の思いがひしひしを伝わってきますし、「朝陽」に載った
記事を嬉しそうな顔で読んでいる方々の顔も浮かんできて、全てにおいていい加減には出来
ないぞと強く感じられたそうです。それでも、新参者を歓迎しようと次々と生じてきた難題を何
とか乗り越えて最終的に期限通り仕上がったのは、前任者の森田さんからの懇切丁寧なご
指導、また東光印刷さんのプロの目からのアドバイス、それと何と言ってもポイント・ポイント
での佐藤先生からのご親切なアドバイス、等々があってのものとおっしゃいます。それと、今でも信じられないような幾つかのビギナーズラックがあったことも忘れられない、ともおっしゃっていました。

編集というお仕事は大変とは存じておりましたが、執筆をお願いした方々の思いのこもった原
稿を無残に切る訳にもいかない一方、紙面には限界がある状況の中で、迫りくる期限と闘い
ながらまとめ上げるというのは、本当にご苦労の多いことなのだということが良く分かりました。
それを踏まえて改めて「朝陽」を目の前にすると本当に輝いて見えて参ります。本当に第一回目
の大仕事、お疲れ様でした。

でも西出さんは編集の難しさ、大変さを味わいつつも、出来あがってみると、やはりやって良
かったと思われたそうです。森田さんが「朝陽」の中でおっしゃっている「パラレル・ワールド」、
その意味合いが終わって初めて理解できたとおっしゃっておられます。


今は一休みですが、また9月頃からキックオフ!充電期間のこの夏には、いろいろなデータ
ベースを自分なりに整理して、母校の歴史や伝統、各分野で活躍する同窓会員諸氏、新宿
の街とのかかわりなどに関する引き出しをたくさん作り、佐藤先生や森田前編集長の足もと
に一歩でも近づきたい、と次回の60号に向けての心構えを語って下さいました。また、村上
会長が強調されている「同窓会と母校との連携」について、「朝陽」は何をすべきか、もこれか
らの大切なテーマとして考えて行きたいとおっしゃっておられました。これまでの足跡を引き継
いで歴史と伝統を守っていくことは当然として、同窓会員同士の交流の場としての本来の役割
と同時に、在校生との絆をつなぐ場として「朝陽」がその役割の一端を担えれば嬉しいですね、
まぁ力まずにやりますよ、と最後に笑顔で語って下さいました。


同窓生の皆さまにも、いいお話、おもしろいお話がありましたら、是非、情報をお寄せ頂きた
いとのことです。

西出さん、これからもどうぞ輝かしい「朝陽」を次々と送り出し続けてくださいませ。
これからは、そのご苦労を感じながら大事に大事に読ませて頂きたいと存じます。

今日は貴重なお話をありがとうございました。